
Yukari Iki
日本において、世界各地のインテリアプロダクトを総合的に扱うホームファニシングショップの先駆けであった〈IDÉE〉のPRを経て、花屋に転身。壱岐ゆかりさんが東京に〈the little shop of flowers〉という名の店を構えて15年になる。今年は、子どものオランダへの留学を機に、自らも日本とオランダの2拠点で活動するべく移住をした大きな節目の年。〈西海ヨーロッパ〉が拠点を置くオランダ・ライデンのショウルームで、「Ha’」シリーズの花器を通じて、壱岐さんが今2つの国で感じている“花を生ける文化”について訊いた。
遡ること、19世紀。日本の植物に心酔した、ある一人の外国人がいた。私たち日本人なら、一度はその名を耳にしたことがあるだろう、歴史の教科書にも記されている人物。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、その人である。オランダ商館の医師として、日本に蘭学を伝えるべく来日したドイツ人医師のシーボルトは、博物学(自然科学)にも造詣の深い人だった。当時の日本は鎖国状態にあったため、未知の宝庫だった四季のある豊かな風土に育まれた植物相に心底魅せられ、膨大な植物標本や生きた苗、種子をオランダへと持ち帰る。奇しくも現在、〈西海ヨーロッパ〉が拠点を構えるライデンで、シーボルトは日本各地をフィールドワークした知見をもとにさらなる研究を深め、『日本植物誌』に結実させた。まさに、アジサイやツバキといった日本の伝統種である花々の多くは、このときオランダから世界へと開かれていったのである。
花屋である壱岐さんが、日本国外での活動拠点に世界の花取引の中心地であるオランダを選んだ理由にも、そうした日本との植物を通じた結びつきへの興味が少なからず関係していたという。壱岐さんは、オランダに移住してまもなくアムステルダムで開いた生け花のワークショップで、オランダ人の参加者たちに、このシーボルトの話をしたのだった。
「オランダの人たちもシーボルトのことは当然知っているだろうと思って話をしたら、意外にも全員が知らなかったんです。だけど、そのぶんみんな熱心に聞き入ってくれました。生け花と言っても、華道のお稽古のように作法や技法を教えることよりも、その精神性が伝えられたらと。日本の華道には『天地人』という言葉があって、天と地との間に生かされている私たち人間が、この“間”をいかにハーモナイズするかという意味が込められていること。そこに思いを馳せて向き合う時間が、華道や茶道のように“道”とされてきたという話をさせてもらいました」。
壱岐さん自身、花屋に転身した当初から華道に精通していたわけではなかった。PRの仕事をしていたころから感じていた、自分が主ではなく誰かを引き立てることで得られる喜び。それが花の仕事にも共通していると感じて、何のうしろ盾もない業界に飛び込んだ。自身の感性を頼りに自己流でつくり始めたブーケは、現在のそれと比べれば西洋的ではあったが、都会的であり野生的、女性らしさ男性らしさというボーダーも曖昧にする、それまでの東京にはなかったブーケのスタイルをつくりだし、瞬く間に人気店となった。
そこから十数年。彼女の関心は、次第に自身が扱う花々がどんな生産者のもとでどのように育てられたのか、さらには日本の山や野に自生する草花、日本固有の在来品種へと向かっていく。そうしたプロセスの中で、華道の稽古にも通うようになった。現在の東京の店は、足下にある日本固有の文化への知識を深めながらも、“和花”はこうあるべきという先入観をほどく折衷的な花の楽しみかたを提案している。その中でも「一輪挿し」は、余白を美徳とする日本的な感性がよく表れた生けかたではあるが、自然と日常をつなぐという意味において、どんな土地でもどんな花でも活かせる方法なのではないか。そう壱岐さんは言う。
「このイギリス人のプロダクトデザイナー、セバスチャン・バーグンが手がけた『Ha’』の花器も、“私たちを自然へと一歩近づけること”をテーマに、葉っぱ一枚、小枝一本でも存在感が出せるようにデザインされていると聞いて、一輪挿しが思い浮かびました。けれど、彼がこの花器をつくろうと思った背景には、イギリスはゴージャスな装花を好むぶん花の消費量も多く、大量生産大量消費に向けたアンチテーゼの考えもあったのだとか。日本の生け花とは少しアプローチが違うけれど、帰着するところは同じというもの面白いですね」。
オランダでも今まさに、サステナビリティの観点から造花を扱う花屋が主流になりつつあると聞く。壱岐さんが知人の紹介で知り合い、時折ポップアップショップを開かせてもらっているのも造花の花屋。一見しただけでは造花とはわからないほど、多種多様な造花が生花のように陳列されている。
「私もはじめは戸惑いました(笑)。種類が豊富なだけでなく茎の部分も自在に形が変えられるので、思いのままにアレンジができるというのもヨーロッパの人たちには受け入れやすかったのかもしれません。だけど、日本の生け花の感覚からすると真逆なんですよね。形が変えられることよりも、その花が野に咲いていた瞬間の二つとない美しい姿を花器の上で生かすことに喜びがあるのだから」。
自然の造形に心を奪われる。その情緒的な豊かさを室内にもたらす生け花は、やはり造花とは別の類のものだ。けれども、東京にその情緒的感覚が今も残っているのかといえば、そうともいえない。慌ただしい都市生活の中で、どれほどの人が日常的に花を楽しめているだろうか。
「生花だけが素晴らしく、造花は情緒的ではないと言いたいわけではないんです。その両方に、違う角度からの自然への眼差しがあると思うから。この先、生活スタイルも多様に変化していくことを思うと、すべては捉えかた次第で正解も不正解もない。ただ、造花であれ生花であれ、花のない空間などあり得ないというオランダの人たちの価値観に共感していて、その感覚を何かしらの形で日本の都市生活にも届けたいなと思っているんです。それが何なのか。この環境にゆっくりと根を下ろしながら、自分なりの花とのかかわりかたを深化させて見つけていきたいと思っています」。